数学者の時間にある問題解決のサイクルでは、数学的思考がその軸となっている。原稿のやりとりをしていたら、吉田新一郎さんから『教科書では学べない数学的思考』を参照とした大事なフィードバックをもらった。
なんのために、数学的思考を学ぶのか?
新さんの不思議なところは、直接、こういったフィードバックではなく「私は、○○本の○○ページに書いてあることがよいと思っている」といった感想めいたフィードバックであるが、それがなんとも僕にとってはジワるものとなる効果にある。
そこで、改めて、今、数学的思考についてていねいに読み直してみた(多分、もう10回は熟読している!けどよくわからないことばかりだ)ら、これまで読んでいても、読めていないことが見えてきた。読むことって、どのタイミングで読むのかって、文脈がものすごく大事だ。
読んで、考えを整理し、原稿にするのに、3日間もかかってしまったが、あっという間だった。特に、気になった点は原書を持ち出して、読み直したり、読み比べたりしながらそれこそじっくりと考えながら読むことができた。ここに読み砕いた自分なりの理解を少しだけまとめておこうと思う。
数学的思考の目的とは、自分への気づき(Self-awareness)を育てることに他ならない。
どんなに美しい解法を見つけたとしても、どんなに難しい問題を解決できたとしても、単に答えを得るだけでは満足できないことがある。
数学的思考の目的は、単に数学的に考えること自体にあるわけではない。むしろ、数学的に考える「問題解決のサイクル(これは数学者の時間において身につけたい核となるもの)」を理解し、それを身に付けることで、より一般的な問題に応用し、世界の理解を深めていくために自分自信への豊かな気づき(自己認識)を成長させることにある。
これ本当にいいと思う。この自分を知り、世界を知るところに、数学する価値を設けていくこと。痺れるぜ。
そして、算数・数学は、このような数学的思考の目的を達成するための「気づき」を育成する上で非常に効果的な教科である。
ではこの「気づき」を身に付けていくためにはどうしたらよいのだろうか。?
問題を解くこと以上に、問題解決サイクルの中で、自分の中に「気づき」がしっかりと意識されていることが必要だ。
この「気づき」とは、知識、情報、体験、知覚などを感情と結びつけて総合的に捉えることを意味する。この感情と結びつけて考えようとする数学的思考の捉えがとくに気に入っている。
問題に行き詰まりを感じたとき、そのネガティブな気持ちに気づくことからはじめる。そして、その感情を問題解決に変えていくのである。算数・数学は、この「気づき」を意識的に育てる場として機能していく(このコツはちゃんとあって、詳しくは出版原稿で)。
問題の特徴をみつけることや問題に取り組む方法を知ること、そして、ふりかえりをすることなどといった問題解決のサイクルを経験することは、問題を解決することは喜びと自信をもたらてくれる。そして、自分の「気づき」に焦点をあてることで、この問題解決サイクルを意識的な取り組みとして、数学的思考を育てることができる。
算数・数学において数学的思考を働かせることは、この「気づき」をアートとして捉えることに他ならないといいたい。つまり、取り組みと感情への気づきをアートとして捉えることができるということだ。
こういう算数・数学をするとなると、現状の算数・数学教育への課題と向き合わざるを得なくなる。これについてはまた次回。
